2018年1月
バナナのむき方で、かれこれ1年以上泣いてきた和ですが、先日ようやく、極めたようです!
私が房から取ってしまう前に、
私が上下を切り落としてしまう前に、
私が無造作に皮をむいてしまう前に……
いやいや。元はと言えば、
「バナナちょうだい」とか、
「自分で皮をむきたい」とか、
「お母さんが皮をむいてほしい」とか、
その日の和の希望に沿ってきたつもりです。
でも、どれもこれもが、毎度気に入らず、自分でやるとうまくいかなくて、どこかの段階で泣いていたのです。泣き叫んでいたのです。
それが、全ての工程に見通しが立ったのでしょうか。この日は、1つ1つの希望を言葉でゆっくりと伝えてきました。
お母さん、このバナナを取って。
このくらい、切って。
皮はここまでむいて。
ここまで順調にできると、今度は自分で手に持ち、同じくらいの太さで丁寧に皮をむいていって……。難しい時には、「ここと同じ大きさでむいて」と指で幅を示して。
なんと絵本に描かれたようなきれいな状態になって、大満足の表情で食べました。
おもしろすぎます。このこだわり。その後は、やり切ったからでしょうか。何も言わずに食べるようになりました。
(川辺)
「さっちゃんはね!」
というかわいい歌が有ります。
さっちゃんはね、バナナを半分しか食べられないの
かわいそうね、さっちゃん!
そうかぁ。バナナを一本食べられるのって、「大きい」ことの象徴なのかな、とこの歌を聴いて思った。
そしてエピソードを読んで浮かんだ歌がこれ。
和くんはね!バナナをきれいにむけたんだ!
かっこいいね、和くん。
理想のむき方を追究する(要望する)面倒くさくて、面白すぎる和くんへ、愛を込めてこの歌を贈ります。
(宮里)