2018年1月
朝、バタバタの最中に、「おてがみ、かくの。せんせいに」と。
ええー、いまー!?
どうやって書くんだろう。
なんて書くんだろう。
と思いつつ、放ったらかしに。
大好きな緑の紙に、何やら書いて、「これは◯◯せんせいの」「これは◯◯くんの」と言って、チョキチョキチョキチョキしてありました。
「おかあさーん、袋に入れるの。ある?」と聞かれて、封筒を渡すと、「ここにかずくんってかかなきゃね」と、差出人の名前も書いていました。
手紙を書くところって、これまでに見ていたのかなぁ?ちょっと記憶にないのだけれど。
で、このお手紙の写真を撮る間もなく、保育園にダッシュだったので、残念だなぁと思っていたら……
なんと先生のお手紙付きで返ってきました!
「最初は、中身を友達に渡すつもりだったかずくんですが、『だいじにもってかえる』とのことだったので……戻しておきます」
ということでした(笑)
(川辺)
手紙には、手紙本体の意味とは別に、「手紙をしたためる」という行為の意味があるように思う。
あの人に書かなくちゃ!と思い立つ。
夢中になって書く。
一心不乱に書く。
その時間の中に手紙本体の意味を越えた、特別で純粋な意味がある。
その次に「手紙を投函する」或いは「手紙を手渡す」という手順が登場する。
ところが、これがなかなかの難問。
ポストが通り道にない。
渡したい相手に会えない。せっかく会えたのに渡すことを忘れてしまう、等々。数多くの困難の種が待ち受けている。
ああ、なんて大変なんだろう!
そうやって、投函されなかった手紙や渡されなかった贈り物がたまっていく。
それは、残念なこと?
それとも、いとおしいこと?どちらなのだろう。
ともあれ、こんな風に書いている私のカバンの中には渡し損ねた手紙が何通もあるんだな。
あなたは、どうですか?
(宮里)