相手を慈しむ気持ちが、和の中にめきめきと広がっているようです。
なんと、私が朝食の際にちょっと席を外して、戻ってきたら、私の分の椅子が運ばれていました。
本当はわけあって座卓でご飯にはしたくなかったのですが、イヤイヤが激しかったので、「じゃあ特別にね」と座卓にしたのです。
「特別」なんて、伝わらないだろうし、変な習慣になるかなぁ、なんて思ったりしたのですが、こんな嬉しいことが返ってくるなんて!
その後も、ぬいぐるみを優しい表情で撫でたり、姉がブロックで作った馬に水をあげたり(笑)、あれこれと気をくばる様子がなんだか甲斐甲斐しくて、驚きました。
イヤイヤの激しさの裏に、そうだよねー、想いがあるんだよねー、がんばれ私、と思ったのでした。
(川辺)
いつもは、お母さんが用意している椅子を、お母さんのために用意する。
自分がされているように、ぬいぐるみをやさしくなでる。
そのような行為をしながら、かずくんは、お母さんの顔になっている。
自分がしてもらってうれしかったことを、やってみる。
その時、小さな子は、大きな自分になっているのだと思う。
それは、「しぐさまね」ではないかな。
周りの大人の「しぐさ」の底に、かずくんを慈しむ心がある。
だから、かずくんのしぐさに「慈しむ気持ち」の芽生えが見てとれる。
それはうれしくて、ステキな連鎖なんだ! と私は思った。
(宮里)