2018年10月
毎日の日課になっている赤い実拾い。
毎日、となると、困ることがよくあって。 忘れてくれないかなーと思う日もあります。
たまに、「今日はいい」という日もあるので、めちゃくちゃ急いでいた昨日の朝は、ちょっとスルーしちゃったのです。
ちょうど、この木の前を通る時にはご機嫌に鼻歌歌っていたし。
ところが、歌い終わった和が、「赤い実は?」と。
いつものように泣きわめくわけでもないので、「あ、通り過ぎちゃったね」と言い、おしゃべりしながら保育園に到着しました。
そうしたら、「ねぇ、赤い実は? 今から拾いに行こう! 保育園には行かない!!」と言い出してしまいました。
あぁ、あそこで一瞬、止まっていれば……。
そう思ったけれど、もう戻れない……。
でも、頑として地面から動かない……。
なんとか抱き上げ、なんとか保育室に。大暴れする和を先生に託してきました。 赤い実話を伝えて。
そうしたら、帰りの連絡帳には、 「今日は公園に行きました。赤い実があったけれど、それとは違うかな」と書いてあり、和の引き出しにティッシュペーパーで包んだいっぱいの赤い実がありました。
和が、気持ちを直して、お散歩に行って、赤い実を見つけた喜びを想像してうれしくなりました。
(川辺)
気持ちを直す、という言葉には、いろいろな意味がこもっている。気持ちを直すには、時間が必要。 どのくらいの時間が必要かって? それはわからないなぁ。
気持ちを直すには、そっとそばにいてくれる誰かがいるといるといい。 なぜ、「そっと」なのかって?
「そっと」が好きなんだな、私は。 たぶん、そういう育ち方をしたから。
だからね。 気持ちを直すのは、自分自身によってなんだよね。 時間があって、静かに気にかけてくれる誰かがいて、こんなんでどうかな、といろいろやってくれてるうちに、ふっとね、自分で気持ちが変えちゃうんだな。そんな感じ。
和くんは、きっとそんな風にして、気持ちを直したんじゃないかな。 そう思う。
(宮里)