2017年10月
朝、電動自転車の空気が抜けてしまったので、保育園までの往復は急遽バスに乗りました。
まっすぐ歩かない人とのバス&徒歩での往復は、ほんとに大変です。
保育園には、事情を話し、遅くなることを伝えたら、「お待ちしていますよ」とあたたかいお返事!
そのおかげで、ゆとりができ、ゆっくり向かうことができました。
和は、ただ坂道を歩くだけで、こんなに幸せ?と思うくらい、ケタケタと笑いながら走っていました。
さて、夕方。やっぱり時間がかかった帰り道。
真っ暗になって帰宅……。
クタクタで台所に立っていたら、「かーちゃーん、ん!」と小さな手に小さなお花が!
数日前、姉が帰り道に摘んできた花を花瓶に挿しているのを見ていたんですねー。
花瓶に挿すと、満足そうに身体をギュッとさせました。
ハプニングって、こういうことがあると、すっかり帳消しになるものですね!
(川辺)
花を飾る、という行為は、豊かでゆとりのある行為だと思う。
その花が、誰かの手によって摘まれたものだとすると、さらに価値が高くなる。
なぜなら、花を摘むという行為は、格別に豊かで優しい行為だと思うから。
ずっと以前のこと。
姉が病気の為突然亡くなり、その後のいろいろなことを経て、両親が田舎から我が家の近所に越してきた。
両親は、散歩を日課とし、母が乗る車椅子を父が押しながら、二人仲良く運河沿いの緑豊かな道をよく散策していた。
ある日、私が両親の家に行くと、仏壇にきれいな椿が一輪飾られているのを見つけた。
「あ、きれい!」と言うと、「散歩の途中でね」と笑いながら父が答えた。
いたずらを見つけられた子どものように、小さく笑う父の顔をよく覚えている。
ここからは、想像。
散歩の途中で見つけた椿の花を一枝手折り、車椅子に乗る母に渡す。
母は、嬉しくその椿の一枝を持つ。
家に帰り、椿を小さな花瓶に挿して仏壇に飾る。
そこにいる姉に向かって「きれいな椿だよ」と話しながら。
歩きながら見つけた一輪の花。
それを飾るのは、誰のため?
それは大切な誰かのためなのかもしれない。
花を飾るという行為が、格別に優しい行為だと感じるワケは、そこにある。
和くんが花瓶に挿した一輪の花を見て思い出した話です。
(宮里)