2017年4月
「おかあさん、これ、やってー」ということが、無理難題になってきました。
この小さい人を、屋根に乗せて、電車を走らせたいというのです。
いやいや、動いていない電車の上でもなかなか座ってくれないのに、電車を動かしたらアウトでしょう(笑)
さらに、新幹線の本体カバーを外し、電池を抜いてそこに座らせたい、とも言うのです。
これも、ようやく座ったら、今度はカバーを閉めてくれと……。
カバーを閉めたら、中の小さい人は倒れてしまうわけで……。
「ねんねしちゃった、ねんねしちゃった、ねんねしちゃったーーー(涙)」
で、おかあさんはがんばりますよ。慎重に慎重にカバーをはめて、そーっと、そーっと床に置いて、を何度かチャレンジしてようやく!
見て!できたよ!!
と、言ったら、ガシッと掴んで、えいっと放り投げて、
「できてないよっ!!」
ぬぉーーーーー(涙)
(川辺)
こうしたい!という強い思いを持つことは、人が成長する上で、欠くことができない重要なポイントになる。
そのような意味で黄金のポイントなのだけれど、それは、笑いよりも涙、満足感よりも苛立ちを多く連れてくる。
やりたい!気持ちは、辛抱強い誰かの存在によって、支えられている。
そのような意味で、支え手の役割は大きいのだけれど、その役割の遂行は容易くはない。
真心の働きは、「ちわう(ちがう)」「そうじゃない」と却下されてしまう!
ある!ある!ある!
自分も子育ての頃にこういうことをたくさん経験した。だから、今思う。
「こうしたい」と「そうじゃない」の繰り返し。苛立ちと涙の時間に、きっと意味がある。
「いい加減にして!」と怒るか、「わからないよ!こっちが泣きたいよ!」とぼやくか。「ごめん。ご飯の支度してくるね」と場を離れるか。
支え手ができることは、多分そのくらいのことなんだなと。
そして、それでいいのだなと、思う。
(宮里)